阪大将棋部 雑兵日記

明道館 雑兵共の 夢の跡
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“いなくなるもの”の戯言byG
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    「最後かもしれないだろ。だから、全部話しておきたいんだ」

     

     

     好きなFFのタイトルはなんやかんやで『FINAL FANTASY X』な“いないもの”ことGです。ユウナかわいいよユウナ。春アニメの推しは『アリスと蔵六』、G枠候補は『恋愛暴君』あたりにしておきます。書き込めるのはこれで最後になると思うので、予告通り誰への配慮もなく思いのままに書いていきますね。立つ鳥跡を濁さずとか言うらしいですが、私はそれを逆に行ってきた人間です。心をおおらかにしてお読みください。

     

     今回、わざわざこの文をあげるのは、(僕自身へのけじめという部分が大本の本音ですが)後輩のみなさんに情報を提供し棋力や部での生活の質を高めるのに役立てていただくことを目的としています。僕ほど部室で長々と将棋も遊びもやってきており多くの部員とかかわってきた人というのも近年の世代では珍しいので、この機会にその思い出を伝えられればと思います。

     前半部分は将棋に関連することについてです。僕が6年間どのような棋力上達方法をおこなったかを書きます。それと、一軍戦に関しても言及します。後半部分は部での生活に関することについてです。以前の部がどのような状況であったかを僕なりの視点でつづっていきます。書くうえで読み手の方からすると腹立たしい表現もでてくるでしょう。とりわけ前半部分にあたる【将棋について】に関しては1軍戦の厳しさを知っている人からすれば「大した努力もしていないくせに何を言うか」、「でもあなたは実際には将棋や部のことに関して不真面目だったでしょう」などの意見は大いに予想されます。まったくもってその通りとですと僕は返すしかないので、そのような考えをいだくと思われる方はここで読むのをやめるのを推奨します。そんな時間があるなら『ARIA』シリーズあたりを見て心の涵養に使いましょう。この文章を読んで、読者の方々、とりわけ後輩のみなさんに資することがあれば幸いです。

     

     

    【将棋について】

     これだけ注意喚起をすれば、許されるだろうか。許される。さあ、書いていきましょう。僕が将棋に触れたのは小学生のとき、父や同級生とやる程度で数多あるボードゲームの中の一つという存在にすぎませんでした。本格的に将棋に触れ始めたのは高校生の時。友人に誘われて入部した囲碁将棋部は数年前に県内強豪だった先輩が創設した部とのことでしたが当時は部員数名で指導者がいないという様相でした。僕が初めて触れた棋書は羽生先生の詰将棋本と羽生の法則。むしろそれ以外の本を読んだ記憶はありません。高校三年間は原始中飛車ばかり指す同輩と指すだけで終わりました。

     大学に入って、阪大将棋部に入部しました。記憶が曖昧ですが、自分はそこそこ指せるという根拠のない自信を抱えて向かったサーオリで岩田さんにボコボコにされ、らぶりーさんにボコボコにされ、いいひと先輩にもボコボコにされたんじゃなかろうか。正直、悔しかったです。でもそれ以上に楽しかったですね。僕が今までみてこなかった将棋が阪大将棋部にはたくさんあったのです。まあ、こういう感情がもてる内は幸せですね。入った当初の24のレーティングは8001年ごとに80011001350155017501850という風に上がっていったと記憶しています。僕は対面で行う将棋が好きなので24でやるという行為そのものをしばらく軽く見ていたわけなので、参考までに。

     僕が大学から将棋を本格的に学ぶ上で決めたことは「勝つためにするのではなく、将棋の深みを、あるいは真理を探究していくためにする」ということでした。したがって、誰も指さないような戦型も勉強していきましたし、自分の指す戦法は月日を経るごとに変わります。高校時代由来の右四間矢倉から始まり、四間三間向かい中飛車に触れてみて、ふらっと筋違い角やメリケンとかにいったかと思えば、棋譜中継を見まねて横歩取りにも手を出したりしてました。結局、自分の主戦法として残ったものを考えると、何十何百と負けたけれども指し続けてきた角換わり腰掛銀、師匠が唯一私に与えてくださった渡辺本の対四間飛車5七銀左急戦をはじめとする対振り急戦、たかさんから教えていただいた右玉や引き角、棋譜中継を見続けてきた蓄積に基づく対振り持久戦があげられます。結局のところ、人からの縁もありますが諦めず継続して指し続けてきたものが骨太に残るというのは道理なわけですね。将棋を上達するには大学4年間はあまりに短い。部で観察する限りスペシャリストはやはり強くなりやすく、1つの戦法をある程度理解するには年単位の時間が必要となります。それに対して僕は真逆をいったわけで当然勝率はなかなか上がらず将棋を指すのも嫌になることもしばしば。勝つことだけが将棋ではないですが、結果を求めるには感情を犠牲することも必要となるということでしょう。好きな戦型でなく一軍戦で勝つための戦型を選んでいたという先輩も当時はいらっしゃいました。

     1年目は部室によくいらっしゃっていた脇田さんや岩田さんの影響のもと定跡をいろいろ学びました。矢倉24手組しか知らず四間飛車に金矢倉で挑みかかっていた僕にはすごく新鮮でしたね。仮面浪人で後半は将棋から離れた僕ですが、このシーズンは高校将棋から大学将棋へと移り変わる良い期間となりました。2年目は振り飛車を指すようにしました。1年間居飛車を指し続けて自分の発想力に疑問を感じ、振り飛車の考え方を学びたいと思い1年間の転向をしました。先輩には呆れられましたが、振り飛車流の指し方もまた新鮮で良い勉強になったと思います。またこのときの経験が1手損角換わりや右玉のときでの対応力増強になり、決してマイナスでなかったのは確かです。3年目が問題でした。当時は最善だと思ってましたが、研究をソフトとするようになりました。ソフトとの研究は時に1日中行うこともありましたが、実戦でその効果が発揮されることはほとんどありませんでした。単純に実戦不足でした。せっかく研究した内容でも研究から外れた瞬間に分からなくなり、すぐに形勢を損ねました。また、最善を求めようとするくせに、簡単に気持ちが折れてしまっていました。1局指すごとに無駄に気疲れする癖がつき、勝手にモチベーションを下げ、リーグを欠場するようになったのもこの時期です。こんな様相では棋力が伸びないのも当然ですね。4年目はその反省もあり24をやる癖をつけるようにしました。指す度に課題局面が出てくる出てくる。院試もあり以前のように将棋をやる時間はなかったですが、潜在的な棋力ではこの辺りが一番伸びたのではないかと思っています。ただ、現役生として指していくには気づきが遅すぎました。5年目6年目はそれほど変化がありません。現役を退いていますし、僕は個人戦というものに魅力をそれほど感じていないので取り組みへの姿勢という面では変わってはいるでしょう。強いて言うならば最新の棋書を読むことが少なくなり古書や棋譜並べの量が増えました。大山先生の名局集を並べたり、島ノートとかを拾い出してきたりとかですね。時代の差を感じるものではあるものの自分にない感覚を知ることはできたのはいい経験でした。ただ雑感からすれば、僕は棋譜並べ向きの人間ではなかったようで実戦を重ねたほうが棋力向上の意味では良かった気もします。

     全体を振り返ってみれば、仮面浪人の期間はさておき、将棋に触れなかった日はほとんどなかったような気がします。学力試験が迫ってきても詰将棋を解き、レポートの休憩のかたわら棋譜中継を眺め、暇ができれば部室に来て将棋を眺めたり指したりする。このようなルーティンを続けてきたからこそ、ある程度は棋力が向上したのではないかと思います。24R2300ぐらいまでならば努力すれば大学生のうちに到達できるという話をたまに聞きます。その話と僕の実例を比較してみますと、漫然とした努力ではその域に達することはできないということがよくわかります。強くなる人というのは確固たる目的意識をもって鍛錬にはげんでいます。才能がなかったと切り捨ててもよいのですが、僕にはそのような高い意識が欠けていたのが、棋力が伸び切らなかった一因ではないかと思われます。

     

     一軍戦についてもここで言及しておきましょう。結局、僕自身が一軍戦に出ることは一度もありませんでした。仮に僕が主将の目線だったら絶対に出さなかったであろうし、そのこと自体は仕方ないことだと思います。この辺りは実力と相手のオーダーで決まるものですから。歴代の主将や部長もこのことを凄く悩んでいました。長い事部室にいるものですから、この人を出してみたいけれど勝つためにはこのオーダーが最善だから出せないという裏話を聞くこともあります。勝つことと育てること、限られた選択肢のなかで彼らは何度もつらい決断をしてきたことでしょう。主将たちから直にその話を聞いている中で、彼らの一軍戦に勝ちたいという思いがひしひしと伝わってきました。この思いに応えてあげたかったけれども、残念ながら私は弱すぎました。偏屈な言動をしながら見守ることしかできませんでした。そんなこともあって、院生になってから一軍戦を見ているとふと思うことがあります。「若いから」という理由で出場していく者がいます。それは将来性を鑑みた賢明な判断ですが、ごくごく当たり前の定跡を間違えてそれから相手に間違えてもらって帰ってきてしれっと「序盤から間違えたけど勝った」という旨の発言を聞いたりすると心の中でわだかまりが生じることがしばしばありました(なまぐさものだった自分を棚に上げてるくせに勝手ですね。)。院生になってからこういう感情をいだくようになったのは、どうあがいてもあの場に出ることはかなわなくなったことへの悲しみでしょうか、それとも主将たちの心意気を感じ取れていない人への憤りでしょうか。まあ、今後はこの感情も想い出にすげかわっていくのでしょう。こんなわけで、私がひそかに抱いていた悪感情よろしく後輩のみなさんには出場資格を失ってから後悔はしてほしくない。「弱いから」と今は言っていても、仮に情熱を持ち続けて強くなったときに大学生でなかったとしたら、全てはifで終わってしまいます。もう少しだけ頑張ってみる、というのも一興ではないでしょうか。

     

     さてさて、こんな僕でも部室で将棋を指しているととりわけ初級者の方に「どうしたらそんなに強くなれるんですか」と勘違いされることがあります。「いやいや、これはまだ始まりなんだよ。僕自身もここからもっと強くならないといけないのに」と思いながらも適当に返してしまうわけなんですが、部室警備員として見てきたなかで強くなる人がどんな人かまとめてみたいと思います。一応、入学時にR1000以下あたりの人がR2000以上になることを想定しているので、もともと強かった人は横槍をささないでくださいでやんす。ほんとに痛いので。

     確実にいえることはリーグに参加しないで伸びるような人はほとんどいないということです。最初はD級からスタートした人でも努力を続けたまま4回生になるとA級の下位を狙えてきます。僕のように欠場する人は真剣勝負から逃げているわけで棋力を高めようという必死さに欠けるわけです。あとは長時間自分で考える癖をつけることでしょうか。長考派は強くなりやすい傾向にあるのかなと思います。時間を使わない人は自分の直感にそって指すわけで、初級者が直感のみで指して勝つというのは考えにくいというのもまた道理でしょう。対局中に考慮をとおして自分の力を磨いているわけですから、それを喪失させているのは棋力向上にプラスにならない気がします。時間を使えないという人は対局数を増やすなり局後にしっかりと考える反省の時間をもつなりの処置は必要かもしれません。勝負事ですから、それなりの勝負術を身に着けるのも有効でしょう。終盤の重要な局面で形勢を損ねてしまう人がいますが、[匹ぜ蠅見えるか見えないか⇔匹ぜ蠅鯀蠎蠅見つけにくくできるかというのが重要な気がします。,亡悗靴討蓮C級D級の方は手筋が一目で見えないというパターンが多いです。手筋本を読んだりして、1秒でも早く筋が見えるようになると違うと思います。△亡悗靴討いわゆる勝負術。攻防の急所が見つけにくい局面にできるかどうかの話です。これは実戦で体感するのが早い気がします。終盤型の人はそういった技術に長けていることが多く、一人で黙々と本を読んでいても思いつかないような手がとびでてくることもままあります。そういったものを自分の読みに組み込んでいけるかも重要そうです。注意しておくべきこととしては、いろいろな戦型に手を出しすぎないことでしょうか。一つの戦型が体になじんでくるのにも多かれ少なかれ時間がかかります。僕の場合ですと、舟囲いの間合いをなんとなく把握するのに2年は要しました。そして、この間合いの精密化にはまだまだ課題が残っています。成長速度は人それぞれですが、大学生活という短いスパンの中で将棋という広大な荒野すべてを歩き回ろうというのはあまりにもつらいものであり、自分の中で馴染んだものをひとまず高めていくというのが現実的な考えのような気がします。僕も角換わり腰掛銀に関してはこの6年間で少しは経験を積んできたので、強い人相手でもなんとかなるかなと思える機会が増えてきました。弱者が強者を倒すには自分の得意に相手を引き込むというのは有効な手段だと思います。

     でも、このような例を包括するというか超越するものとして強くなる部員に共通するものがあります。将棋に対する情熱と表現されそうなものです。そして、このような熱は僕がずっと距離をおいてきたものでした。僕が部室で観察してきた中では、強くなる人というのは、食事をとるのも忘れて部室で将棋に打ち込む人、毎日盤へと向かっている光景を見かける人、研究会や道場に足しげく通い24にいつ見てもいるような人でした。なぜそのようなことができるのか。様々な解釈が可能だと思いますが、僕はその人は将棋のことが好きで好きでたまらないからだと思います。そして、この“好き”は、強くなる人のみのものではなく、部に入った時には誰しもが多かれ少なかれ持っているものだと思います。あとはそれをどう育てていくかです。僕個人としてはまず将棋に対して真摯に向き合い続けることが一つの方法ではないかと思います。真摯さを持ち続ければ、局面に眠っている味わいを見つけることができるからです。そして、そのような味わいこそが将棋をやり続けること好きでいることの原動力ではないでしょうか。

     

     以上のような実感を踏まえ、後輩のなかに棋力が伸び悩んでいる人がいるとするならば、僕は自分の失敗談から判断して以下のような方針をとってみるのが有力ではないかと考えます。

     

    勝ちたいならばスペシャリストになること。学生生活はあまりに短い。

    実戦を重んじ、そのさなか自らの力で考え抜くこと。絶え間なき試行と反省はきっと力になる。

    そして、何より将棋に対して真摯であること。

     

    こんなところでしょうか。僕の現在の実感なので2年もすれば変わっているかもしれませんが得るところがあればうれしいです。将棋には勝ち負けがあるものですから、時には負けがこんで自暴自棄になることもあるでしょう。そんなときに再度立ち上がれるかどうかがその人の真価が問われるときだと僕は考えます。幸い、僕たちは阪大将棋部という一つのコミュニティに属しているわけで助け合いというものが期待できます。倒れ伏していても、そっと一声があるだけでまた盤へと向かえるようになるかもしれません。仲間が(あるいは戦友が)いるからこそ伸びたという世代があります。それは個々人が努力していたこともそうですが、全員が将棋を楽しもう、もっと強くなりたいという気持ちのもと部室に来ていたことが大きかったというのが個人的な感想です。最近は部全体に元気がなくなってきており、去る老害としては心配しております。どうすればいいんだろうと考えている人も部のなかにはいるかもしれませんが、難しいことはなく、部室に来てみて、ただ一言、「将棋指そうぜ!」と声をかければいいのです。1人が2人になっているだけで物事は劇的に変わります。「どうせGが部室にいるから部室に来た」というありがたい発言を僕は何度もいただきました。きっかけは単純なのです。部のありかたは様々ですが、どうせやるなら派手にいってみてはいかがでしょう。

     

     

    【部での生活】

     僕が入部したころの部室は入室すれば岩田さん、Eのさん、脇田さん、タツタさん、いいひとさんが将棋を指していて、チャオズさんが今と変わらず鎮座していました。あと、みなさんがブリッジ部の人だと思い込んでいる岸さんが今よりわりかし将棋を指していた気もします。当時は基礎的な棋力が高い人が多く、定跡を知っているのが当たり前というのが下地にあった気がします。そういった事とは縁遠かった僕は、入部してからの2年間は先輩方の知っている知識を吸収することにつとめていました。現在の僕の将棋観や形勢判断や指し手というのはこの時の経験がもととなっています。困ったときは駒の活用、見えない詰みより確実な寄せ、ゼをつくったら詰めろをかけるなどなど、教科書そのままの話ではありますが、諸先輩方はそれらに忠実でありそして強かった。さて、後輩のみなさんには先輩の将棋がどのようにうつっているでしょうか。ただ強い弱いと思うのでなく、先輩の将棋への哲学を感じ取り自らの将棋へと消化していくというのもアリかもしれません。1・2年上の先輩方にはとりわけ教えていただいた僕ですが、3世代以上上の方とはなかなか話す機会がありませんでした。公家さんや1092さんらと話しをするようになったのもだいぶ後になってからでした。今考えると非常にもったいなかったですね。強い人に指してもらうのは非常に勉強になるものであり、成長への引き金となりえます。先輩になってつくづく思うのは、入部したての頃はいつかやめてしまうのではないかと思わせる初級者が鍛錬を続ける姿というものは本当に美しく、応援してやりたくなってしまうもので、そんな人をことあるごとに将棋を指そうよと誘い続け、時がたち、初めて負かされそうになったときは本当にうれしいものです。「強くなったなあ」と心の中で思いながら、局面をごまかし、「あと少しで勝てたのにな」と悔しがらせる。こんな時、僕の先輩もこんな風だったのだろうかと時おり頭によぎります。後輩のみなさんは僕のように後悔しないことを願っています。

     

     先輩方の話はこれまでとし、次は後輩たちの話。今の新M26回生世代は個性的な人が非常に多く、また将棋に対しても熱心な方が多かったように思われます。僕からすれば情けない先輩をサポートしてくれる頼りがいのある後輩でしたね。顧問邸でバカ騒ぎしたかと思えば、高木君田代君のリーダーシップのもとみっちりと将棋をする。そんなメリハリがきいた将棋部でした。また、改革派な側面もあり、なかむら君を中心としたシステム開発、あるいは部での夕食での形態見直しなど、今の部を形づくっているものには結構この世代が中心となって生んだものがあります。弟子として残ってくれたのは原田、江原、柏木の3名。今では部員の多くを占めるようになってきた一門となった我が一門ですが、最初は何の変哲もない一門でした。

     今の新M15回生世代が入ってきたときの第一印象は少し寂しい世代というものでした。人数もそうですが、部室に頻繁に来るタイプの人が少なく、どういった嗜好の人たちかわからなかったというのがその原因の一端です。しかしながら、後期にもなってくると人となりがわかってくるもので上の世代とはまた違った個性にあふれる世代だということがわかりました。棋力はD級レベルからスタートという人が多く、入部してからだんだんと強くなっていく姿を見ているとこちらまで嬉しくなりました。他方、単位取得が危うかったり、ふらっと来なくなって消息不明になったりして心配させられもしましたね。こんな状況のなか、部室に継続してこられる人が少ない中で、ひらおん孫Gの両名は協力してよく頑張っていたのではないかと上から目線で思っております。少なくとも外から見てた人にはそう見えました。

     正直なところ、新4回生世代が入ったときが一番楽しかったですね。これ以降は同回生が卒業してしまい、院生になった影響もあり(あったらしい)、また、新入生と関わるのを前期の間はわりと控えるようにしたので、部で楽しむ時間が減ってしまいましたから。新4回生が入った当初は21時をまわろうとしてるのに将棋を指しているのがざらで、何度お店に迷惑をかけたことか。かっしー君あたりを止めたと思えば、もうtt君が指し始めているなんてのは日常茶飯事。この世代が皆で強くなっていったのもこういった雰囲気があったからだと今鑑みると感じます。また、この時の、同回で雑談しながら後輩たちの指す将棋を考えている時間はとりわけ幸せなひと時でした。また、この辺りから子G・孫Gとたくさん弟子がつくようになり一門も大所帯となってきました。ただ、娘Gが弟子入りを宣言したときに煽ってきた皆さんの言葉はしばらく忘れないと思います。そんな反動もあってか、あの日の屈辱を噛みしめながら娘を甘やかし続けた3年間でした。おじいちゃんはそろそろ孫娘が見たいです。曾孫以降でも可。養子縁組もOK

     新3回生が入ってきたときには院生となったことで少しばかり部室警備の時間を減らすように試みました。(まあ、成果はお察しの通りです。)そんなわけでこの世代から面倒を見続けるということがなかなかできなくなりました。初心者・初級者からスタートという人も多かったのですが、継続は力なりという言葉通り、部室でちらっと見た限りではどんどん強くなっていました。将棋以外で言えば、僕からすると主体性が薄く見える世代なのですが、内面に秘めているキャラクター性はすばらしいものがあると思います。兼部勢も多くそれぞれの趣味は多様。あとはそれをさらけ出すだけです。独自の企画を陰ながら期待しています。また、この世代は今年でいよいよ幹部職を担当することになりますね。香月君の姿はマスコットキャラ枠だったつっしーとややかぶっているように思えている今日このごろですが、春秋を経て頼れる部長として活躍することを祈っております。

     新2回生の話を……と思ったのですが、僕も全員がどんな人か把握しきってないんですよね。一つ言うとするならば、みなさんまだまだ部室警備力が低いのではなかろうかと。後輩ができるこの春、アピールは大事です。妹Gのように予想外の方向からとんでくる場合もあるのですから(とくにザコ君は美化係でもありますから、ちょっとだけ頑張ってみて昆孫を僕にみせてけれ)それと、遊び大好き勢は将棋を第一義にするように気を付けましょう。うっかりやりすぎると部室の混沌勢に呑み込まれにいった僕みたいになります。

     

     先輩・後輩と続いたので、同回であるSaifer世代の話に移ります。僕たちの世代で一軍戦にずっと出場していたのは岡だけでした。12回の頃はリーグを皆勤だった者も多かったですが、それも3回生以上になるとどんどんいなくなっていきました。年長になっても将棋を継続していたのは岡とつっしーぐらいで、あとは僕が少し続けていたぐらいでしょうか。このように、将棋の対局という面で部に長々と貢献できた人が少なかった世代だと僕は考えています。その中で主将として部を引っ張ってくれた岡にはあらためて、「すまない、そして、ありがとう」と言いたい。僕がもう少し強ければ何かできることがあったのかもしれないけれど、残念ながら僕自身の意思は薄弱で結果として何もすることができませんでした。当時、投票で決めたことだけれども、岡が主将でいてくれてよかったと思います。

     僕たちの世代は将棋を指すというよりは部員たちと共にあるというところに特色があったと思います。リーグはできる限り休まない、一軍戦などの節目には基本的に参加するというのは初期の特徴でした。上回生になるにつれてそれを徹底することは難しくなったけれども、将棋は指さないけれど部室に来てみたり、わざわざ夕食の場へと出向きにいったりなどはよくありました。SaiferとはすなわちSaifuを出す者のこと。自嘲してそう呼ぶわけですが、部にどう関わるかという姿勢自体は明確ではありました。将棋は強くないけれど楽しい部活を形作っていくという姿勢はある意味一貫していました。特に、まつけん、たなしょー、つっしー、チックという面々といろいろな馬鹿をやってきましたが、今となってはいい想い出です。これからも馬鹿なことをやっていきましょう。

     

     さてさて、これで僕が見てきた部員の方々の話はおしまい。だいたい10世代ぐらいを間近でみられたのではないかと思われるのですが、各世代ごとに微妙に色合いが違います。その色は個人が生むだけでなく、個人同士が集まったことによる相互作用によっても変わってきます。部が面白いと思えるファクターとしてはこの相互作用の部分が大きいのではないでしょうか。この相互作用で大事なのは創意工夫でしょう。自分が面白いと思ったものを部員を巻き込んでやってみる。そうすると、付き合ってくれた連中が新たなものをうみだしてくれるみたいです。もちろん、これは部内だけでおさまる必要はありません。僕の場合ですと、観戦の傍らに関西学生将棋連盟の理事さんたちに挨拶したり、部室に来訪してくださった他大の方や地域住民の方とお話しをしたり、24で交流戦に参加したりといった経験は非常にプラスとなりました。神大生の方が指していたリーグの観戦は普段とはまた違った味わいがあり、とても勉強になりました。あるいは、明大のきちょーさん、立命のもりしー君、関西大のやまもり君、などなど、将棋を指した方がプラスになりそうな人となぜか麻雀をする機会をもったり、市大のみーる君をKFCに誘ったりしたこともありました。いかにこの学生生活をエンジョイするか、方法は多様なわけです。そこに部という垣根は必ずしも必須というわけではありません。(不本意ながら、けじめというか線引きが必要なときもありますが……)

     以上、部員のみなさんに囲まれた6年なわけですが、様々なことがあったわけです。皆で夜通しA級順位戦検討会をして、名局賞に選ばれた三浦久保戦に一喜一憂したこともありました。23時に先輩に召喚を受け、私が到着して早々去りゆく後輩を見送ったこともありました。冬合宿にいってスカイラインと化したりもしました。今思い返せば、夏合宿に全日参加することができなかったのは残念です。合宿以外にも様々なところへ旅行に行きましたね。Saiferでディズニーランドに行ってみたり、私の趣味に付き合わせてふらっと京都巡りをしてみたり、登山にいって「何部ですか?」「将棋部です!」というやりとりもしました。突発的なイベントごともたくさんやりました。KFCで悪ノリしたり、料理会を開いてみたり、月食をみてみたりしました。僕は皆が楽しそうにしている姿を見ながら淡々と飲むのが好きなようで、理由にかこつけては飲み会をやっていた気がします。

     こんな遊び人であった僕ですが、6年もかかって自分の中で確立された部で大事なことというものがあります。追いコンでも強調しましたが、それは『まず、将棋を指すこと』です。当たり前のことですが、これはこの部において尊重されるべきことです。将棋を真剣にやろうとするものが正義なのです。そして、その中でイベントを企画してみたりしながら、それぞれの活動を豊かなものにしていく。このような状態が僕は理想だと思います。部員個々人にはどこまで将棋へと力をいれるかを決める自由があります。中には、団体戦で優勝したい、あるいは全国レベルで活躍したいと常日頃から思っている方がいるかもしれません。将棋にそれほど力を入れる気はなく、集団での活動を楽しんでいければいいと考えている方がいるかもしれません。将棋に対してどこまで力を入れるかという意味で、多種多様な人がたくさん集まる阪大将棋部においてはこの意識の差にどう折り合いをつけていくかというのは非常に重要です。僕のたどりついた結論は、「私は将棋が指したい」と思っている人を尊重し、自らも自分の歩調で追随するというものでした。遊びをするなとは言いません。むしろどんどんしていってみてほしい。ただし、もしあなたの隣に将棋を頑張っている人がいるとしたならば、そっと手を止め、一緒になって考えるなりその頑張る姿を応援するなりしてあげてほしい。自分が楽しむにはどうすればよいか、皆が幸せになるにはどうすればよいか、それらを悩み続ける。それも部活動の醍醐味です。別に僕の意見が正しいとは限りません。ただ、もしどうしたらよいのかと方針づけに悩んでいる人がいて、この話がヒントになってくれたら大成功です。

     

     最後に阪大将棋部関連で僕が撮った中で一番好きな写真をはっておきます。

    ツイッターの記録によれば、この写真が撮られたのは2014532358分。先輩、後輩、OBの方とのミニ研究会の様子がうつっています。僕はこの写真のような光景こそが阪大将棋部の理想だと思います。時間も忘れて将棋に打ち込み、棋力がなかろうと差別することなく、全員で上達を目指していくという阪大将棋部らしさがよくあらわれているというのは少々言い過ぎでしょうか? 時代は変わりゆくものですが、時々でいいからこんな在り方があったのだと思い出していただければ幸いです。そして、自分たちの在り方というものを形作っていってください。

     

     僕が阪大将棋部にいたのはまったくもって偶然でした。高校時代の3年間担任をしてくださった方が「お前は名古屋や神戸じゃなくて大阪っぽい」と言わなければ、東大に受かっていたとしたら、サーオリに行かなければ、僕は阪大将棋部にいなかったことでしょう。そして何より、素晴らしい部員の方々に恵まれたからこそ僕は将棋部にいることができました。将棋部にいて失ったものもきっとあるでしょうが、それ以上に得るものがありました。リーグでボロ負けし勝ち目のない感想戦を続けたあの時、憩やピノキオに入り浸り部員と語ったあの時、後輩の成長を感じた一手を見たあの時、個性豊かな弟子たちに囲まれたあの時、素っ頓狂なイベントを生み出したあの時。その一瞬一瞬を忘れっぽい僕はいつしか無くしてしまうのだろうけど、たしかにそれはそこにありました。後輩たちも満足のいく将棋部ライフをおくってほしい、そう思います。

     

    書き続けると終わらなくなってしまうので、以上でこの文をしめます。

    みなさん、いままでありがとうございました。

    いつかまた会えるといいですね。

    それでは、ここまで読んでくださった方、お疲れぃ!

     

     

    | 阪大将棋部♪ | Saifer | 23:45 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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      G先生 六年間お疲れ様でした。
      高校〜大学一回生の間の経緯が結構似ていて驚きました。

      この三年間、気になる局面や手があればとりあえず部室に行ってG先生に聞けばいいやと思ってました。
      マイナーな変化やどこからか思いついた研究手の検討に長々と付き合って頂いて感謝しております。

      G先生の残したものは少なからず部室に根ざすことになると思っています。社会に出られても頑張ってください!
      | 初代サイバー係 | 2017/04/07 11:20 PM |
      久々に覗いてみたら膨大な思いがそこにぶちまけられていた。たまげたなぁ。
      6年間もいると万感迫るものがあふれるというか、円熟の極みというか、でも何だかんだで強くなったG守を見ると、同期としても誇らしいです。
      長い間だらだらとやっていたけど、今になって僕はどうやら、将棋部の居心地に甘えていた節があったんだなーとしみじみ懐かしみました。
      社会に出ると、ルーティンに慣れて、久しく向上心を忘れてしまうこともあるけれど、これを見て再び思い出しました。長い静かな情熱を、どうかこれからも忘れないで。
      | いわがみ@今や社会人3年目 | 2017/04/11 2:11 AM |









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